November 22, 2013
秋は素敵
これまで玄関内まで車椅子での送迎を介護士に頼んでいたのだが、近頃は私が門の外まで出向いて迎えの車を待ったり、送ってもらった時も両手を杖で支え極力自分の力で歩いて家の中へ入るように努めている。
早朝、夜間は気温の冷え込みが大きいが、リハビリに通う日中はお日様が照っている限り大変清々しくて気持ちが良い時節である。
ポーランドではズオータ・イェシェン ( Złota Jesień ) 、つまりゴールデン・オータム ( Golden Autumn ) と言って黄色く色変わりした木々の葉 ( 黄葉 ) の色をめでるそうだからイチョウ、ポプラ、プラタナスなどのことだろう。
日本では錦秋。
まさに錦織りなす色模様である。
常緑針葉樹や照葉常緑樹など濃淡の緑色、落葉針葉樹など黄茶系の褐色、紅に染まる落葉樹の葉 ( 紅葉 ) も色合いは一様ではないし、黄色く染まる落葉樹の葉 ( 黄葉 ) も色合いはまちまち。
昨年の秋は安倍さんの元気な顔を見るために家内と共に東北へ旅をした。
弁護士 F 氏の言葉に触発されてのことだったが、行く先々で小さな秋から雄大な秋、木枯らしが吹くような秋から湯気が立ち上る温泉でのあったかーい秋など、様々な秋を感じてきた。
紅葉の季節、これはほんにスバラシイ。
しかし、今年の秋は・・・・・
泣き言は言わん。
じゃがしかし、ツマランのはツマラン。
でも、思い通りには動けないが、秋は感じているのだ。
私自身、感じることの出来る脳を頂いているし、意図してかどうかは別にして、私の周りにいる人たちの私に対する様々な働きかけなどが私に素敵な秋を感じさせてくれている。
リハビリ送迎時に介護士が運転する自動車は街路樹が植えられた道路を走ったり、田畑を縫うように延びる農道を走る場合があり、それぞれに季節を感じられて楽しいものだ。
写真は姪が拾ってきてくれたドングリ。
マテバシイの実かと思うが、実がなっていた木も葉っぱも見ていないので分からないけど、秋は素敵だ。
そんな秋を歌う歌を小学生の頃によく歌ったことを思い出す。
秋の夕日に 照る山もみじ
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる カエデやツタは
山のふもとの 裾模様
今でも 1 番の歌詞だけだが歌うことが出来るが、この 『 紅葉 ( もみじ )』 という唱歌は作詞が高野辰之、作曲が
岡野貞一と、共に音楽教育の世界における近代化に貢献した人である。
この二人がコンビで作詞と作曲を担当した唱歌に 『 春が来た 』『 春の小川 』『 故郷 』『 朧月夜 』 などがある。
♪ 春がきた春が来た どこに来た~
♪ 春の小川は さらさら行くよ~
♪ うさぎ追いし かの山~
♪ 菜の花畑に 入り日薄れ~
それぞれの歌の出だし部分だけ紹介したが、知らない人は先ずいないだろう。
ただ音楽教育に対する考え方の広がりなどから義務教育諸学校の学習指導要領の改正が行われ、音楽教科書の内容も変わってきていることから、ひょっとしたら知らない世代が出てきているかも・・・・・
でも、私には忘れられない好きな歌ばかりである。
秋は寂しさを感じさせられる面もあるが、華やかで楽しいことも沢山あって私の好きな季節でもある。
しかし、
今秋は・・・・・
泣き言は言わないが、やはり例年の秋とは違うんやなあ。
違うと言えば気の毒なのは家内である。
私が自由に動けないのは仕方がない。
しかし、私の体の状態や生活時間に合わせ、自分の自由であるべき時間の相当量を私のために費やしてきた家内に、出来るだけ自由な時間を過ごしてもらいたいと近頃は外出時間を多く取ってもらうようにしている。
友人らとの茶会や食事会にリコーダーのレッスンなどなど。
今日は家内がリコーダーの指導を受けている師匠のコンサートを聴くため夕刻より出かけてもらった。
勿論出かける前に私の夕食の用意のほか、湯沸しポットの用意など、まだ十分に安定した状態で自分のことが出来ない私が一人でいて困ることがないように物を揃え、それらを私の手が届く場所に置いておくという準備を全て行ってから出かけるのだ。
だから思い立って直ぐに出かけるというものでなく、私としては大変迷惑をかけ続けているなあという思いを抱く中で出かけてもらっているのだ。
ただ、退院した当初は何もかも、本当に全てという状態、つまり病院では看護師、看護助手、栄養士、理学療法士らの手助けを得て日々の生活を送ってきたが、自宅での生活が始まった途端、病院では分担して世話をしてもらっていた世話の全てを家内一人が担うことになったのであった。
それらの世話を量として表せば、現在も量的には大きく変化してはいない。
ただほんの 1 週間ほど前からだが、平行棒より両手を離して不安定ながらも歩くことが出来るようになってきたので、家内に世話をしてもらうことも、いずれは少なくはなっていくだろうとは思う。
しかしリハビリというのは、今日訓練した結果が翌日直ぐに見えるものではないし、どれだけの期間で完治するという保証も無いのだ。
『 いずれは 』 と書いたものの、『 いずれ 』 が何時なのかは全く分からないのだ。
両手を離して不安定ながらも歩くことが出来るようになってきたことは事実だが、いつでも平行棒を摑めるように安全を担保した状態で 3 mをよちよち歩きでやっと歩めるという程度で、ここに書き表すほどのことではないのだが・・・・・
でも、でも、少しだけ嬉しい気持ちもあるのだ。
何でもいい、回復方向に向かっていることが、木の葉が紅葉するように目に見えて分かれば良いのだけれどなあ。