April 24, 2014

実情に合った・・・

今日は朝一番からのリハビリの日だった。
安定して歩くことを柱とするハビリになってきているので、内容的には兎にも角にも歩くことばかり、このように22-1 (20)言っても決して言い過ぎではない。
私としては自主トレーニングでカチンコチンに凝り固まりパンパンに張っている靭帯や筋肉、ぶっははははは、今や筋肉と言えるほどのものではなくなってしまったが、これらをほぐしてくれることの方が嬉しいのだが・・・・・

病気入院する前は肩を揉んでもらうとか体のマッサージを受けることなどコソバユイ感触が強く、むしろ嫌いなことだったのが、リハビリを受け始めて以降、時に眠りに落ちてしまうほどの心地良さを感じるようになってきている。

しかしながら理学療法士が毎日ずっと一緒にいてリハビリを行ってくれるのではない。 以前にも書pict-P1090195-1いたが、私の場合は週に 2 度、1 回に40分のリハビリだからアッと言う間の時間でしかないのだ。
このリハビリも残り 1 ヶ月ほどで終了させられてしまうのだ。

医療にしろ介護にしろ何か事業を行うには一定の枠や線引きといった基準が必要であることは理解できる。
しかし、医療にしろ介護にしろ、それらのサービスを受ける患者 ( ペイシェント、クライエント ) の疾病、症状、回復の度合、環境などは全て個々により異なるもので、その異なるものを十把一絡げするように一律に線引きして判定するのは間違いであり、真に患者のためにならないものと私は思っている。

医学というものは患者の病因を明らかにし、現に明らかな症状に対応するという二面 ( 二点 ) を踏まえて帰納的に、或いは演繹的に効果を求めて行うための行為を研究実践する学問だと定義できると私は考えている。

こうした具体的行為を原因療法と呼んだり対症療法と呼んだりしているが、心理カウンセリングを行うにしても社会福祉実践でも基本的な立場は同じようなものである。
22-1 (10)
こうした考え方を私の現状に当てはめてみれば、はなはだお寒いと言えるのが医療保険、介護保険の現状である。 
政府・厚生労働省はどのような福祉国家を思い描いているのだろうか。
何だかお寒いものを私は感じているのだが・・・・・
pict-P1090199-1
医療も介護福祉も縁遠い話で身近な問題とは認識しにくいものである。
かく言う私自身がそうであった。
その立場に立つようにならないと考えることが出来ず、行動することもないのだ。

原発問題然りである。
苦しい時の神頼み、喉元過ぎれば熱さ忘れる・・・・・
人間というもの切羽詰まり尻に火がつかない限り何事も他人様のことでしかないのだ。 

まったく困ったものだ。


masatukamoto at 16:58│Comments(0)TrackBack(0)

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