May 25, 2014
おやつ
本日のリハビリ終了。 ( 金曜日23日のこと )
と言っても、私が施設へ出向いて受けるリハビリのことであって、私のリハビリは 1 日24時間休みというのは無いのだ。
まあ眠っている間、・・・これは休みと言えなくはないが・・・
ともかく決められた予定内のリハビリを終えたので少しだけ気が楽。
帰宅してホッと一息、コーヒーを飲んでいるところだ。
今回の病気に罹る以前、お茶やコーヒーなどを飲んでも特段お菓子を欲しいと思うことはなかった。
お茶席で菓子が出されたら落雁などの干菓子は持ち帰り、生菓子のみ有り難く頂くといった程度。
コーヒーや紅茶を飲む席でも、誰かが食べたいと言えば共にケーキなど洋菓子を食べることがあった程度で、是が非でも菓子を食べたいというほどのことはなかった。
※ ここからの記述は25日( 日曜 ) 本日のこと。
ところが退院以降我が家において、コーヒーであれ日本茶であれ飲み物を喫する時、無性にお菓子を一緒に食べたいと思うようになったのだ。
以前は 3 時のおやつ ( お八つ ) など食べないどころか関心すら無かったのだが・・・・・
退院してから以後、私の食事管理は全て家内が行っており、今も 1 日あたりの総摂取カロリーはさほど大きく変わってはいないハズ。 しかも1 日あたりの運動量は入院時より格段に増えている。 だから何がしかの副食を私の体が欲しがっているのだと私は思っているのだ。
ところが退院した時の体重と今の体重に変化が殆ど認められないことから家内が用意してくれるおやつの量が超キビシイ状況になっている。
そうそう、エラソウに運動量が増えたなどと書いたが、下肢麻痺の状況を抱えての運動量なので通常人のものとは比べられるものではない。念のため。
病気を頂く以前は地下の書斎に何袋か常時置いて舐め舐めしていた黒糖飴も、ポリポリつまんでいた柿の種も入院以来、もう 1 年半も口にしていない。
家内の目には 『 エサを与えないで下さい 』 といった動物園の檻と同様の札がぶら下がっているのかもしれない。
手術の執刀医からもホームドクターからも体重の減量を指示されているし、家内も端からそのつもりで私の食事管理をしてきてくれているのだ。
このことは有り難いと感謝すべきことだが、将来起こるかもしれない氷河期や食料危機に備えて蓄えた備蓄肉塊はそう簡単に消費するものでもない。
備蓄肉塊=贅肉、ほとんどが余分な脂肪 ( fat ) だが・・・
とは言うものの口がひもじいのは、カワラン。
テレビを見れば旅番組に料理番組。 日本人のくせにグルメじゃとかなんとか言いおって・・・・・
古来 『 武士は食わねど高楊枝 』 などと、これは痩せ我慢を揶揄する言葉。 私は贅肉付きまくりで痩せてはおらんから当てはまらんワイ。
おやつを頂けないというわけでなく、その量が超キビシイ状況だということ。
左の写真は札幌 『 わらく堂 』 の白石煉瓦というチョコレートケーキで、これなら 1 切れでチョン。
上の甘納豆なら 1~2 袋。
ゆず寒天とかアメちゃんとかなら 2 個。
ついでだから書けば、チョコレートは子どもの頃から大好きであった。
私がうんと小さかった頃のことだ。 深緑色の進駐軍 ( 連合国軍 ) のジープやトラックが砂煙を上げて家近くの道を走って行く横から、大きい兄ちゃんたちが兵士たちに 「 ギブミ―〇〇 」 と叫んでいた。 すると大概の場合兵士たちが何かを放り投げてくれるのだが、大きい兄ちゃんたち、つまりご近所の年長者たちだが拾い集め、時々私にも分けてくれたのである。
その当時の記憶、とりわけ味わったという記憶は深く残っており、糖衣状のチュウインガムと板状のチョコレートについてはよく覚えている。 満足な完全な状態で分けてもらったのではなく、ガムはケースの中の小さいものを 1 つ、チョコレートは板状のものを幾つにも割ったひとかけらだった。 満足な状態でもらったものは後の記憶と照らし合わせ MJB のコーヒー缶であったように思うが、これは開缶することなく長い間我が家の台所の水屋の上に置かれていた。
随分古い話になってしまったが、チョコレートはその頃から好きだった。 それに、母がよくホット・ココアを飲ませてくれた。
確かチョコレート色のラベルに
COCOA の文字が書かれた容器だったので多分 Hershey's のものだったのだろう。
戦後の物資が少なかった時期でも我が家に食料など物資不足というのは無かったような・・・・・
何故だったのか、これは今もって分からない。
ブロック・チョコというのか、分厚い割れたチョコレートを湯煎して牛乳と砂糖を入れたホット・ココアを母親が作ってくれたこともしばしば。
後には VAN HOUTEN に変わったが、チョコレート味は幼かった頃からの好みなのだ。
そんな好みのチョコレートも 2 月に焼酎・富乃宝山入りの生チョコや GODIVA のプレーン・チョコを食べて以来口にしていなかった。
先に書いたチョコレート・ケーキというのは私にとってチョコレートの範疇外。 いくらチョコレートを使っているからと言ってもスポンジ・ケーキはスポンジ・ケーキであってカステラと同じなのだ。
家内がシフォン・ケーキだチーズ・ケーキだと教えてくれたりするが、私の理解では全てスポンジ・ケーキなのである。
と十把一絡げにして言っているが決して嫌いというわけではなく好きは好きなのだ。
そうした私の理解におけるスポンジ・ケーキの中でも特に好きなのがバウム・クーヘン。
スポンジだシフォンだと、その物の質感覚から呼ばれる名前なのかと思うが、バウム・クーヘンは質と言うより形状に因るものであろう。
Baum の Kuchen 、いい名前だ。
ドイツ語 ( らしきもの ) に初めて触れたのが中学 1 年生の音楽の時間だった。
シューベルトの 『 菩提樹 』( 歌曲集・冬の旅 ) である。
♪ アム ブルーネン フォール デン トーレ
ダ ステート アイン リンデンバウム
イッヒ トラウムト イン ザイネン シャッテン
ゾー マンヒェン ズイシェン トラウム ♪
ドイツ語どころか英語も学び始めたばかりの私が粋がってこんな歌を口ずさんでいたのだ。
Der Lindenbaum ・ 菩提樹である。
Baumkuchen ・ 樹のケーキである。
ここからである。 2 年前、丁度この頃であったが亡くなったディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ
( Dietrich Fischer Dieskau ) の“追っかけ”を始めたのは・・・
多分に私自身の思い入れというものもあるが、バウム・クーヘンは大好きなケーキである。
ただし、更に好みを付け加えれば、しっとりとした舌触りのものが好きであって、パサパサと乾き感の強いものは良しとしない。
ぶっははははは、好みが・・・・・むむむむむ
先日家内が友人から頂いたというチョコレート・ケーキが写真の 『 青山散歩 』 というもの。
青山という名前だけで何となくオシャレを感じるのは私だけではないだろう。
赤坂、山王、六本木から青山通りを越えて原宿・・・・・
元気だった頃は結構アップダウンの多い青山一帯をよく歩いた。 南青山や赤坂あたりのホテルに連泊して根津美術館、国立新美術館にサントリー美術館
etc。
東京というのは関西人特有の感覚からあまり好きではないが、地理・地勢・文化など、大阪には無い良さがあることは大いに認めているところだ。
この洒落たチョコレート・ケーキだが、私はチョコレートはプレーン ( plain ) に限るようなことを書いている通り如何にチョコレートを使っていようとケーキはケーキと思ってきた。
この 『 青山散歩 』 もケーキではある。
これを家内が上に紹介した白石煉瓦の写真のように切ってくれるのだが、薄ーく薄ーーく。
まあ、薄ーく、これはもう我慢しよう。
この 『 青山散歩 』 も主体となる部分はチョコレート・スポンジなのである。
青山通りのプリン屋さんというのが会社名なのか店名なのか知らないが、ここのインターネットページを開いてみると菓子の紹介に上の写真が掲載されている。
この写真を見て、私は 『 青山散歩 』 という菓子には別途上からかけるチョコレートが付いているものと思ったのだが、この写真は製造上の特徴をイメージさせるための宣伝用のものだとは後で分かったこと。
こまかな商品説明をするつもりはない。
とにかくケーキなのだが、家内が薄ーく薄ーーくカットしてくれたモノはしっとり感があり、うんと抑えた甘味、それに苦味がバランス良く口の中で主張し合いスポンジケーキの味わいや食感と言うよりプレーン・チョコレートに近いモノのように私には感じられたのである。
我がおやつの量としては圧倒的に物足りないが、久方に大好物のチョコレートを頂いたという思いであった。
おやつのことをいろいろと書いてきた。
もう既にお八つ時は過ぎてしまったが、本日のおやつは・・・・・
おっ。
今日は志ま秀の海老せん 『 なかよし 』 が 1 袋に、上の写真のアメちゃん、それにゆず寒天が。
家内にすれば大サービス、かな?
その家内、今日はリコーダの音合わせがあるようで昼前に楽器を持って出かけて行った。
今日は私のお留守番の日だ。
と言っても、私が施設へ出向いて受けるリハビリのことであって、私のリハビリは 1 日24時間休みというのは無いのだ。
まあ眠っている間、・・・これは休みと言えなくはないが・・・
ともかく決められた予定内のリハビリを終えたので少しだけ気が楽。
帰宅してホッと一息、コーヒーを飲んでいるところだ。
今回の病気に罹る以前、お茶やコーヒーなどを飲んでも特段お菓子を欲しいと思うことはなかった。
お茶席で菓子が出されたら落雁などの干菓子は持ち帰り、生菓子のみ有り難く頂くといった程度。
コーヒーや紅茶を飲む席でも、誰かが食べたいと言えば共にケーキなど洋菓子を食べることがあった程度で、是が非でも菓子を食べたいというほどのことはなかった。
※ ここからの記述は25日( 日曜 ) 本日のこと。
ところが退院以降我が家において、コーヒーであれ日本茶であれ飲み物を喫する時、無性にお菓子を一緒に食べたいと思うようになったのだ。
以前は 3 時のおやつ ( お八つ ) など食べないどころか関心すら無かったのだが・・・・・
退院してから以後、私の食事管理は全て家内が行っており、今も 1 日あたりの総摂取カロリーはさほど大きく変わってはいないハズ。 しかも1 日あたりの運動量は入院時より格段に増えている。 だから何がしかの副食を私の体が欲しがっているのだと私は思っているのだ。
ところが退院した時の体重と今の体重に変化が殆ど認められないことから家内が用意してくれるおやつの量が超キビシイ状況になっている。
そうそう、エラソウに運動量が増えたなどと書いたが、下肢麻痺の状況を抱えての運動量なので通常人のものとは比べられるものではない。念のため。
病気を頂く以前は地下の書斎に何袋か常時置いて舐め舐めしていた黒糖飴も、ポリポリつまんでいた柿の種も入院以来、もう 1 年半も口にしていない。
家内の目には 『 エサを与えないで下さい 』 といった動物園の檻と同様の札がぶら下がっているのかもしれない。
手術の執刀医からもホームドクターからも体重の減量を指示されているし、家内も端からそのつもりで私の食事管理をしてきてくれているのだ。
このことは有り難いと感謝すべきことだが、将来起こるかもしれない氷河期や食料危機に備えて蓄えた備蓄肉塊はそう簡単に消費するものでもない。
備蓄肉塊=贅肉、ほとんどが余分な脂肪 ( fat ) だが・・・
とは言うものの口がひもじいのは、カワラン。
テレビを見れば旅番組に料理番組。 日本人のくせにグルメじゃとかなんとか言いおって・・・・・
古来 『 武士は食わねど高楊枝 』 などと、これは痩せ我慢を揶揄する言葉。 私は贅肉付きまくりで痩せてはおらんから当てはまらんワイ。
おやつを頂けないというわけでなく、その量が超キビシイ状況だということ。
左の写真は札幌 『 わらく堂 』 の白石煉瓦というチョコレートケーキで、これなら 1 切れでチョン。
上の甘納豆なら 1~2 袋。
ゆず寒天とかアメちゃんとかなら 2 個。
ついでだから書けば、チョコレートは子どもの頃から大好きであった。
私がうんと小さかった頃のことだ。 深緑色の進駐軍 ( 連合国軍 ) のジープやトラックが砂煙を上げて家近くの道を走って行く横から、大きい兄ちゃんたちが兵士たちに 「 ギブミ―〇〇 」 と叫んでいた。 すると大概の場合兵士たちが何かを放り投げてくれるのだが、大きい兄ちゃんたち、つまりご近所の年長者たちだが拾い集め、時々私にも分けてくれたのである。
その当時の記憶、とりわけ味わったという記憶は深く残っており、糖衣状のチュウインガムと板状のチョコレートについてはよく覚えている。 満足な完全な状態で分けてもらったのではなく、ガムはケースの中の小さいものを 1 つ、チョコレートは板状のものを幾つにも割ったひとかけらだった。 満足な状態でもらったものは後の記憶と照らし合わせ MJB のコーヒー缶であったように思うが、これは開缶することなく長い間我が家の台所の水屋の上に置かれていた。
随分古い話になってしまったが、チョコレートはその頃から好きだった。 それに、母がよくホット・ココアを飲ませてくれた。
確かチョコレート色のラベルに
COCOA の文字が書かれた容器だったので多分 Hershey's のものだったのだろう。
戦後の物資が少なかった時期でも我が家に食料など物資不足というのは無かったような・・・・・
何故だったのか、これは今もって分からない。
ブロック・チョコというのか、分厚い割れたチョコレートを湯煎して牛乳と砂糖を入れたホット・ココアを母親が作ってくれたこともしばしば。
後には VAN HOUTEN に変わったが、チョコレート味は幼かった頃からの好みなのだ。
そんな好みのチョコレートも 2 月に焼酎・富乃宝山入りの生チョコや GODIVA のプレーン・チョコを食べて以来口にしていなかった。
先に書いたチョコレート・ケーキというのは私にとってチョコレートの範疇外。 いくらチョコレートを使っているからと言ってもスポンジ・ケーキはスポンジ・ケーキであってカステラと同じなのだ。
家内がシフォン・ケーキだチーズ・ケーキだと教えてくれたりするが、私の理解では全てスポンジ・ケーキなのである。
と十把一絡げにして言っているが決して嫌いというわけではなく好きは好きなのだ。
そうした私の理解におけるスポンジ・ケーキの中でも特に好きなのがバウム・クーヘン。
スポンジだシフォンだと、その物の質感覚から呼ばれる名前なのかと思うが、バウム・クーヘンは質と言うより形状に因るものであろう。
Baum の Kuchen 、いい名前だ。
ドイツ語 ( らしきもの ) に初めて触れたのが中学 1 年生の音楽の時間だった。
シューベルトの 『 菩提樹 』( 歌曲集・冬の旅 ) である。
♪ アム ブルーネン フォール デン トーレ
ダ ステート アイン リンデンバウム
イッヒ トラウムト イン ザイネン シャッテン
ゾー マンヒェン ズイシェン トラウム ♪
ドイツ語どころか英語も学び始めたばかりの私が粋がってこんな歌を口ずさんでいたのだ。
Der Lindenbaum ・ 菩提樹である。
Baumkuchen ・ 樹のケーキである。
ここからである。 2 年前、丁度この頃であったが亡くなったディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ
( Dietrich Fischer Dieskau ) の“追っかけ”を始めたのは・・・
多分に私自身の思い入れというものもあるが、バウム・クーヘンは大好きなケーキである。
ただし、更に好みを付け加えれば、しっとりとした舌触りのものが好きであって、パサパサと乾き感の強いものは良しとしない。
ぶっははははは、好みが・・・・・むむむむむ
先日家内が友人から頂いたというチョコレート・ケーキが写真の 『 青山散歩 』 というもの。
青山という名前だけで何となくオシャレを感じるのは私だけではないだろう。
赤坂、山王、六本木から青山通りを越えて原宿・・・・・
元気だった頃は結構アップダウンの多い青山一帯をよく歩いた。 南青山や赤坂あたりのホテルに連泊して根津美術館、国立新美術館にサントリー美術館
etc。
東京というのは関西人特有の感覚からあまり好きではないが、地理・地勢・文化など、大阪には無い良さがあることは大いに認めているところだ。
この洒落たチョコレート・ケーキだが、私はチョコレートはプレーン ( plain ) に限るようなことを書いている通り如何にチョコレートを使っていようとケーキはケーキと思ってきた。
この 『 青山散歩 』 もケーキではある。
これを家内が上に紹介した白石煉瓦の写真のように切ってくれるのだが、薄ーく薄ーーく。
まあ、薄ーく、これはもう我慢しよう。
この 『 青山散歩 』 も主体となる部分はチョコレート・スポンジなのである。
青山通りのプリン屋さんというのが会社名なのか店名なのか知らないが、ここのインターネットページを開いてみると菓子の紹介に上の写真が掲載されている。
この写真を見て、私は 『 青山散歩 』 という菓子には別途上からかけるチョコレートが付いているものと思ったのだが、この写真は製造上の特徴をイメージさせるための宣伝用のものだとは後で分かったこと。
こまかな商品説明をするつもりはない。
とにかくケーキなのだが、家内が薄ーく薄ーーくカットしてくれたモノはしっとり感があり、うんと抑えた甘味、それに苦味がバランス良く口の中で主張し合いスポンジケーキの味わいや食感と言うよりプレーン・チョコレートに近いモノのように私には感じられたのである。
我がおやつの量としては圧倒的に物足りないが、久方に大好物のチョコレートを頂いたという思いであった。
おやつのことをいろいろと書いてきた。
もう既にお八つ時は過ぎてしまったが、本日のおやつは・・・・・
おっ。
今日は志ま秀の海老せん 『 なかよし 』 が 1 袋に、上の写真のアメちゃん、それにゆず寒天が。
家内にすれば大サービス、かな?
その家内、今日はリコーダの音合わせがあるようで昼前に楽器を持って出かけて行った。
今日は私のお留守番の日だ。
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