July 28, 2014

一 服

昨日も一昨日も湿度も気温も共に高い、将に猛暑、酷暑と呼ぶに相応しい日であった。

朝早くからジージーとアブラゼミの煩いほどの大合唱が我が家の部屋の中まで響いていた。
1週間ほど前までは、家内がセミの声を認めて私にセミが鳴いていると話しかけてくれていたのだが、この頃にpict-アブラゼミ抜け殻-1は私は全く聴き取れなかったのだ。

一昨日、リハビリから帰って来た時に我が家の門前で見つけたセミの抜け殻の写真。
塀際に小さな穴が幾つも見られるので、早朝の未だ暗い内に地上へ出て、壁や樹木をよじ登り、殻から這い出し、日の出の頃には体や羽を乾かしてジージー鳴いているのだろう。

アブラゼミは幼虫 6年間を地中で過ごし、地上で成虫となってからは僅かに 2~3週間の生命と聞く。
数年前はクマゼミばかりだったが、今年は鳴き声からアブラゼミばかりのように思う。pict-アブラゼミ-3
それにしても成虫となって 2~3週間の命とは何とも空しいものだが、空しいと書けばセミの抜け殻は 『 空蝉 (うつせみ)』 とも。
源氏物語の 『 空蝉 』 なら・・・・・
ベッピンでなくていい。 気立て良く控え目で品の良い女性なら、私に言わせれば、年がひとつ上であろうが下であろうが、そんなこと関係なく 『 金の草鞋を履いてでも探せ 』 と思う女性だ。
光源氏が心惹かれたのも当然。
ぶっははははは。
アブラゼミ金でもガラスでもないタダの革靴ではあったが、私は既にプラチナの家内を得ておる。ぶっはははは。

あちらこちらから 「 ごちそうさん 」 の声が聞こえてくるような・・・・・


そんな家内とお茶の時間を過ごす機会も増えた。
『 怪我の功名 』 と言う俚諺もある。 辛く苦しいリハビリではあるが、病を得たゆえの療養とリハビリの日々である。 『 風が吹けば桶屋が儲かる 』 の例えではないが、病雲竜-1俵屋吉富を得たゆえに家内と楽しむお茶の時間も生まれたと・・・・・
充分に腹に落ちた訳では無いけれど、こう得心したと思うように努めているのだ。

ところで家内も私も茶の湯を正規に習ったことはない。
私のババ殿に大叔母・叔母殿らは揃って『宗』の付く茶道の大先生ゆえ、門前にいた訳でも経を読むほどでもないが結構私は茶の湯に通じてはいる、《かな?》。
白雲竜-1俵屋吉富
一方、家内はお茶を習うほど経済的ゆとりのある幼少期を送ったわけではなく、兄たちの支援と自らの奨学金で大学を出て職に就いたものだから仕事面でも生活面でも茶の湯をたしなんだり花嫁修業をするなど、そんなこととは全く縁の無い暮らしをしておった。
強いて言えば兄嫁が武家茶道 S流の師範として教授していたので 『 かたち 』 だけは学ばせてもらったようだ。

もっとも、私に言わせれば 「 茶の湯は 『 かたち 』 に非ず 」 で、純pict-お茶-粋に茶の味と、茶を戴いている瞬間を心底に刻み楽しめば良いと・・・・・
茶の師と呼ばれている方たちからはキツーイ叱責を受けるかも知れぬが、これは私個人の思いなので念の為。

書籍は随分と処分したが、いつでも読み直したいと思うものは未だ書斎の壁を作っている。
大老・井伊直弼は桜田門外に於いて誅殺され、歴史上希代の悪人と評されることが多い。 もっともいずれの立場に立って評価するかによって、あながち悪人と決めつけることに問題が無くはないが、安政の大獄という史実を考え合わせると、やpict-P1090683はり悪人と評定せざるを得ないと私は考えるのだ。

しかしだ。 彼の茶の湯に対する思いや考え方などを推量すれば、彼もひとりの人間であったと。 彼が生まれた幕末という特殊な時代にあって、しかも彼自身の思いに関わりなく人生が展開していく、将に運命と言うべき奔流に掉さすこともかなわず、ただただ流れるままに・・・・・

まあ人物評価をするつもりではないので。

ちなみに茶碗は夏茶碗にと私が焼いたもの。 焼成感、手触り、色具合が良くて大事pict-修正-信楽茶碗-1にしているものだ。
お茶請けは私の場合何でも良いのだが、好みの筆頭はやはり生菓子だな。 あずき、求肥、羊羹などなど何を使ってあっても良いのだ。

お茶の時のみ両刀使いで平時は辛党。 辛党って辛刀とは書かないんだ。 この年になって初めて気付くなーんて、気付いた私に拍手である。 これは単なる自己満足というもの也や?

以前にもお菓子では書いたような気がするが、写真の渦を巻いたように仕上げたお菓子が私の好物である。
最近は関西のデパートならどこでも置いているもので、食感も味わいも似ている。
良く知られているのは京都の俵屋吉富の 『 雲竜 (上の写真で、白雲竜と)』、鶴屋吉信の 『京観世 』、大阪は貝塚、お菓子司・塩五の 『 村雨 』、それに奈良・郡山の本家・菊屋の 『 玄武羹 』『 白虎羹 』 である。
米粉に餡を混ぜて蒸したもので村雨餡と言うのだが、日本中に菓子屋は多いから他にも名前が違っても同様なpict-P1090682品物があるかもしれない。

さて、田中利典氏は奈良・吉野山の金峯山寺の宗務総長、まあ一番エライ人だが、彼の書籍によって私は初めて修験道に触れることとなった。
しかし皮肉なことに歩けない山へ入れない体になってである。
心の乱れを治めるというのはただでさえムツカシイものだが・・・・・
田中氏は随分の後輩になるようだが、求道という面ではご指導を仰がねばならないことが多いようだ。
この本は神戸のW氏にあげようかな。 ここんとこはホラではなく法螺貝を吹いてるよpict-お茶-1うだから今更必要もないか。

今日のお茶請けは 『 ぶどう饅頭 』 だった。
この 『 ぶどう饅頭 』 は徳島県・穴吹のお菓子で、剣山への登山参詣する人たちのための土産にと100年ほど前に地元菓子店が製造販売を始めたものである。
修験道の書籍を紹介したが、剣山 (1955m) は石鎚山 (1982m) に次ぐ四国で二番目に高い山で、どちらも修験道・山岳仏教の聖なる山である。

この 『 ぶどう饅頭 』 だが、家内には思い出深いものらしく、極たまに生協商品カタログで見つけたら必ず購入しているものだ。
pict-ぶどう饅頭-1家内が育った徳島県の池田町は穴吹から近く、時々 『 ぶどう饅頭 』 を売りにくる人がいたらしい。
その売り声を聞くと家内の父親が必ず買いに出て行き、帰ってくると
「 T ちゃん、食べ 」 ってくれたそうな。
『 ぶどう饅頭 』 が好きだった父親と大好きな父親のことを思い浮かべてお茶請けに出してくれているのかもしれない。


masatukamoto at 20:22│Comments(0)TrackBack(0)

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