August 02, 2014

連鎖の行く末

pict-くさり模様-1-1「 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし 」

鴨長明の 『 方丈記 』 冒頭部である。
期末考査や入試における代表的古典の随筆の暗記対象として口ずさむようにしていた頃、文章の大意は理解していたものの移りゆくものの 『 はかなさ 』 や 『 あはれ 』 について真の理解には至っていくさり模様-4なかった。

『 平家物語 』 冒頭の一節、
「 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず 」
この冒頭部も記憶に残る一文である。
勿論何が書かれているかといった表面的理解は中学3年から高校生の頃なりには出来ていた。

権力を握り何でも好き放題にできる平家と言えど、そのようなものは花の色が褪せていくが如く、将に一陣の風ですっかり飛び散ってしまう塵のように儚いものだと・・・・・
くさり模様-1


先だって茶の湯について 『 かたち 』 ではなく、茶を喫する、その時、その事を楽しむのが茶の湯の道と私は会得しているようなことを書いた。

高山の峰を目指して歩む道筋が幾通りもあるように、茶の湯の道を極める道も何通りもあるのだというのが私のくさり模様-3-2考えであり、裏だ表だなどというものではないと・・・・・

『 一寸の虫にも五分の魂 』 と言うが、どれほど小さく弱きものであっても彼らなりの意地や考えはあるもので、姿形で侮ってはいけないというのが元々の教えである。
強調せんがための比喩ではあるが、この諺が小っちゃな虫を例に引いていることと、前ページで 『 ミミズもオケラも、みなゴメン 』 と、いるかいないかも分からない地中の小さな生き物を気遣う優しさが日本人にはあるのだと書いたように、小さなものにまで目を向け気配りできるという点で日本人の底流には共通するものがあるように私は思っているのだ。
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仏教や神道の教義の根源には生きとし生けるものに対する共生観が根差している。
共に生きるという言葉が持つ意味は重い。
『 共生き 』 のために必要なことは、と考えれば鎖が連らなるように次々と繋がり出てくるものだ。
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以前 『 放生会 』 についても触れたことがあり、例として福岡の筥崎宮やタイのピマーイ博物館にほど近いサイ・ンガーム公園での小魚の放流や小鳥の放鳥について紹介した。

幼子たちは両親に連れられ 『 放生会 』 の場で様々な経験を通して学ぶのだ。
くさり模様-3-11『 子は親の背を見て育つ 』 と言われるように子どもたちは言語をもってのみ学習するのではない。 様々な経験と書いたが、身体全体、全ての感性をもって学び、その後の成長過程で得られる知識を積み重ねつつ自らの人間性を高めていくものである。

しかし昨今そうした意味での教育環境がどんどん様変わりしてきているように思う。pict-くさり模様-1-1

人的環境としては親と子の間柄の他、近所のおじさん、おばさん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、或いは同年齢や年下の子どもたちとの間柄、その他、住環境や遊びの内容変化などなど、何がどのように子どもたちの人間育成に影響を与えているか、その因果関係を明らかにすることは難しい。
が、影響を与えていることは事実、このことは間違いないはずだ。

『 放生会 』 の場で 『 共生き 』 の思想を学び、小さな弱い立場のものにも命があり、共に生きるためには互いの気遣いが大切なことなど多くの事を学ぶはずだ。
これは私流儀で言えば茶の湯の 『 かたち 』 と同じであり、武道の試合前後にくさり模様-3-33行われる 『 礼 』 とも共通すると言えるかも。
誤解の無いように書き添えるが、武道を習い始めの時、まず行儀として 『 礼 』 を指導する。 しかしこの場合は、お願いしますとか相手してもらう人に対しての感謝や尊敬の意味で 『 礼 』 という動作をするのだということぐらいの説明と理解であると推量する。 が、高次元のことを言えば、 『 礼 』 というものは精神的内発的なものであって言われてするものではないのである。
ややこしく難しくなるので置いておくが、これはやはり 『 かたち 』 であって、私に言わせれば口先の、或いは頭 ( 知識 ) だけのことであって心がこもっているという精神的高位のものではないと私は思っているのだ。
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思いを巡らせば思考というもの、まるで鎖が連らなるように次々と繋がり広がっていくものだ。
このように鎖が繋がっている状態を連鎖と呼ぶが、いいことの連鎖は嬉しいし有り難い。
pict-human chain-1尻取りゲームも言葉の連鎖であり、クイックにスムースに言葉が繋がることは楽しいものだ。
人々の善行が連鎖反応を起こすなら、これはもうサイコ―。

しかし世の中良いことの連鎖ばかりではなく、negative chain と呼ばれることもある。
つまり 『 負の連鎖 』 というもので、貧困や紛争・戦争がそれだ。くさり模様-2
毎日毎日死傷者が増加。
それも武器を持たない子どもや老人、女性たちが被害に遭う。
イスラエルとパレスチナの紛争だ。
これは民族、国家、宗教などが複雑に絡み合い、千年を優に超える時間 『 負の連鎖 』 を続けてきているのであり、差別や離散などひと言で片付けることの出来ない複雑さをはらんでいる。
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だからと言って現に生活しているパレスチナ人の生命を近代兵器で奪う権利はイスラエルには無いし、イスラエルに対する報復としてユダヤ人に対して自爆テロを行う権利がパレスチナにあるとも言えない。
爆撃にしろ自爆テロにしろ、そこからは何も良いものは生まれない。
怨嗟、憤怒、怨念など、おどろおどろしい言葉ばかりが繋がる将に 『 負の連鎖 』 でしかない。
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negative chain を human chain に変えて行かなくては。

先ずはネタニヤフもハマスも戦闘行為を止めよ。
7 月からの戦闘でガザでの死者が既に 1500 人を超えていると聞いている。
住む家などを爆撃で失った避難民だけで 20 数万人を超えているらしい。
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戦争する国、戦争ができる国というのはこんなものだ。
『 他山の石 』 ト スベキ デ アル。

小さな生き物にまで気遣う優しさや、ものの 『 はかなさ 』 や 『 あはれ 』 について心情的に理解できる日本人である。
日本人の思考の連鎖と行動の連鎖が 『 共生き 』 の思想に深く深く繋がっていますように 【 合 掌 】



masatukamoto at 17:07│Comments(0)TrackBack(0)

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