October 30, 2016

髪の毛・・・

髪の毛と書いたが『髪』と言えば頭部に生える毛を指すので、わざわざ毛を加えることも無いと思うのだが・・・・・
頭髪との表現もあるが、子どもの頃に父親から聞いた『武士と言う侍が馬から落ちて落馬して・・・』と言う重複表現の戒めを思い出した。s-2016-10-19_125345
重複表現(重言)と考えられる言葉でも特段不思議だと感じられることも無く実社会でフツウに使われていることがよくあり、私が髪の毛について疑問を呈するほどのことではないのかもしれない。
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※当ページ掲載の人物は全てゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル。

その髪の毛だが、子どもの頃は父親が散髪屋(理髪店)へ連れてくれていた。 しかしその頃の私は散髪屋へ行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。別段これといった理由があったと記憶していないが、成人してからは髪の毛が伸びすぎると《みっともない》との思いから仕方なく理髪店へ出向いていたので単にズボラ性であっただけなのかもしれない。s-2016-09-21_134255
ともかく髪の毛がどうのとか服装がどうのとか、そうしたことに関しては殆ど興味や関心を持たずに今日まで来ており、結婚して以降は家内が選んでくれたものを着ているのが常だ。

そんな私が髪の毛に対して初めて意識的に関心を抱いたのは同級女児Kの母親が頭部の禿げについて我が母に相談してきた時だった。
Kの母親の頭髪はほとんど無く、彼女の悩みの深さは話し言葉の調子や表情などから小学2年生の私でも充分察することの出来るものだった。s-2016-09-21_134722
今の時代はウィグと呼び、装いのための小道具として男女問わず多く使用されているが、当時は『かつら』と呼び、人毛で作る大変高価な代物でとても一般的と言えるものではなかった。そのような『かつら』でも求めたいと願うKの母親の悩みは将に悲しみと言えるほどのことだった。

長い黒髪、女の命、遺髪等々、とりわけ女性にとって髪の毛は大切なものだと後々徐々に徐々に知ることになって行ったが、私自身の髪の毛については全く関心が無かったと言って良い。s-2016-09-21_134047
初めて丸刈り頭にした時は青色頭で流石に少し恥ずかしい気がしたが、それも2、3日のことだった。
高校生の折に長髪運動を行ったことがある。多くの生徒は丸坊主が嫌だというのが理由だったが、私は長髪であれ丸坊主であれ、そうしたことを校則として押し付ける学校側の姿勢に反対することに運動の主眼を置いていた。

私の頭髪が禿げ始めたことに気付いたのは30歳を少し過ぎた頃だった。椅子に腰掛けていた私の背後に立った職場の先輩(お局様)が、「随分薄くなってきたね。」と声を掛けてくれたことが最初だった。s-2016-09-21_134919
それでも頭髪が禿げるというのは自然なことだと気にするほどのこともなく今日まで来ている。
母方の祖父が坊主頭の写真として残っているので遺伝かとも思うが、禿げていたのか丸刈りにしていたのか古い写真なので判別出来ない。明治期のことゆえ撮影の機会が少なかったろうし、あったとしても大阪大空襲の折に殆ど焼けてしまったことだろう。

私の現況は例えてみれば『サザエさん』の父親・波平氏に似ているが、波平氏の髪と異なるのは私の髪は白いとs-2016-10-30_163953いうことだ。
私も彼同様禿げていることを特段不足に思っているわけでなく、ヘンデルのようなウィグをかぶりたいということもない。
あるがまま、自然なままが
一番良い。






masatukamoto at 17:02│Comments(0)TrackBack(0)

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