December 29, 2016

この時期・・・【7】 ガンという奴

先日この時期は鍋物が美味しいと書いたが御用納めの昨日の夕食は合鴨鍋になった。
私たちが仕事をしているわけではないが、官庁のほか一部企業の年内最後の仕事日になっているので御用納めの日としたが、先日年末の挨拶にと来宅した某銀行の女性は30日が今年最後の日だと語っていた。
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勿論のこと防衛、海上保安、警察・消防・救急・医療や報道関係など年末・正月に関わりなく業務を行っている機関もある。 勤務に当番・非番の別はあるだろうが『ご苦労様』の気持ちは表しておきたい。
この合鴨鍋、岩手県産の合鴨と出汁がセットされたもので野菜などを加えて煮れば合鴨鍋になるし、小芋などと煮れば治部煮にもなる。
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この日の夕食が合鴨鍋になったのは前日に家内の友人Sさんがご主人の労作を持って来てくれたからである。
Sさんのご主人については以前にも書いた通り、某銀行を退職後野菜等の栽培をしている人だ。
そのご主人の作物については品種の多さや出来具合など、とても俄か仕立ての農業従事者の作物とは思えないほど立派なものなのだ。
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今回は上の立派な白菜などを頂いたので合鴨鍋になった次第。
合鴨は頂くこともあって時々食べる機会があるが、この冬場が狩猟シーズンのマガモは50年近く以前に琵琶湖・長浜あたりの料理屋で食べて以来口にしたことがない。
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マガモは渡り鳥だから鳥インフルエンザが気になるし、ネギを背負って飛んで来てくれるわけでもない。 まして同じ仲間とは言えアイガモが葱を背負ってくるなど有り得ない。 と言うわけで頂いた白菜、大根、人参にキノコや豆腐を加えた合鴨鍋に。
白菜は白菜であって葱に非ず。 当然、Sさんはネギでも白菜でもない。
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このSさん、『乳癌で手術してきたところ 』 なのだと ご主人運転の車で来てくれたのだ。
まだ痛みがあるのだがと、いつもの調子で明るく話していたが、抜糸は終えたとは言え、術後は何かと痛みが出て辛いものだ。 しかも初期だったとは言うもののガンという病名を聞くだけで私は平静ではおれない。
Sさんは何と剛毅な人だろうと感服の極みであった。
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ところで私が子どもの頃の知識でガンと言えばカモ、鴨(カモ)と言えば雁(ガン)のことであった。
今やガンと言えば癌(cancer)を思い浮かべるほどの言葉に私の脳内では成長してしまった。
カニ(cancer)なら食ってやるが、キャンサーはヒトの細胞を荒らしまわる食えん奴だ。
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この秋、神戸でジジ&ババの集いをもったが、毎年出席するうちの数人が欠席した。 どうしたのかと気になっていたが、つい先日S君から元気な声で電話があった。
「胃ガンの手術を受けて退院してきたとこなんや。」と。
もともと某劇団の俳優で平幹二朗だか仲代達矢だかとも芝居をしたらしいから元気でよく通る声ではある。
しかし内視鏡を使っての手術だったとは言え癌部分を切り取ったのだから何も無かったわけではない。 第一段階は上手くいったらしいが以後転移などの検査の為、その都度受診せねばならぬことになったのだとか。
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癌という何とも憎々しい難儀な奴だこと。
癌と言う奴、何とも厄介な奴だが、こ奴以外にもヤヤコシイ奴は沢山いる。
厄介とまで言わないまでも人間が自由自在に動けないようになる原因となる輩は全くツマラン奴である。
そのツマラン何者かにやられたと長兄の嫁(義姉)が入院したことを知り、即刻家内に入院先の病院へ行ってもらった。
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ニュートンの法則ではないが、水は高きより低きへ流れるが如くこの報せは最後の最後のド最後に我が耳に入った。  末妹末弟ゆえ已むを得ぬ、兄の心遣い等々、嬉しく有難い思いを感ぜぬでも無いが、何か一抹の寂しさを感じたのは私の思い過ごしだろうか、うーーむ。
何事につけてもなかなか達観出来ず、今も彷徨っているばかりの私である。
先日、U氏著の書籍贈呈を受けた。
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H (旧姓)氏はデューイ研究を本筋に行っていたが、院の頃よりその研究は随分参考にさせてもらってきた。
私は旧姓の方に親しみがあるのでH氏と呼ぶが、彼は御父君を白血病で亡くし、奥方は乳ガンを患って以後直腸、肺、脳、骨盤、大腸と転移の後に亡くされた。 彼自身も食道ガン、肺ガンを患うという大変な道を歩み、病を受け容れ病と共に生きるという道を究めているようにこの書籍から読み取れたが、私には、ムムムム。
H氏は大学での教育学研究・教育と併せ、広島県の某寺住職として宗教家としても活動して来られた。
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H氏の書物ではガンという厄介な奴とも共に生きる道を達観したかの如く記されていた。
しかし私にはツマラン難儀で厄介な奴としか思えないガンであり、とても受け容れ共に歩めるような奴ではないと思っている。 が、なりたくなくても病というもの勝手に人の身に忍び込んで来るものである。 受け容れがたき奴だが我が身に入り込んで来れば精一杯戦い、ねじ伏せてやろうというのが今の私の思考(生きる)レベルである。
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年の瀬となり、家内の身に災厄無く、我が身の回復に進歩を実感することの嬉しさにただただ感謝するのみだ。

※ 野菜と梨はSさんより。 菓子はО君より頂戴したもの。






masatukamoto at 23:06│Comments(0)TrackBack(0)

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