July 17, 2017

来客 《3》

9日(日)の来客についてはもう一組、N夫妻もいた。
仕事との関わりで予定がつかず延び延びになっていたハネムーンに出かけ、無事に帰国したことは知っていた。
その旅行の写真をアルバムにまとめたからと見せに来てくれたのだ。
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旅先はタイのプーケット島。
プーケットと言えばバトンビーチの名前が挙がるほどビーチ・リゾート地として有名だ。バトン・ビーチはプーケット・タウンからは丘を越えた西側に位置する。
今回彼らが利用したホテルの一つがバトン・ビーチの高級リゾートホテル(下の写真)であった。
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プール付き、ジャグジー・スパ付き・・・
私もプーケットには何度か行き、バトンビーチも知ってはいるが宿をとったことはない。
私の旅のスタイルの基本は質素な一人旅で自然を身近に感じられる場所を求めるものだった。そのため賑やかなバトンビーチに魅力を感じなかったのだ。
もっともここ10年ばかり前からは宗旨替えして博多や広島など地方と言えど賑やかな都会へも出向いてきた。 
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プーケットではタウンにあるメトロポール・ホテルを利用することが多かった。バンコク経由でプーケット空港に到着してから目的地であるピピ島へ向かう船の出発時刻に合わせる為にだった。
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彼らのアルバムを見せてもらって、いろんなことが懐かしく思い出された。
2001年9月1日のアメリカ同時多発テロが起きた時、私はピピ島に滞在しており米国NBCのテレビ画面にくぎ付けになっていた。
当時幾度かピピ島で過ごすことがあり、2004年12月24日にも友人と一緒に行くつもりだったが都合が悪く私は取り止めたのだった。その2日後の12月26日、マグニチュード9.1というスマトラ島沖地震が発生。ピピ島は大津波に襲われ沢山の人たちが犠牲になったのだった。
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私がいつも宿としていたピピ島北部のピピ・ナチュラル・ホテルの被害は小さかったらしいが、島の中心となるトンサイ湾あたりの被害は筆舌に尽くしがたいものであったらしく、我が知人も犠牲になってしまった。
そう言えば宮城のAさんはトンサイ湾のピピ・プリンセス・リゾートをご家族で利用されていたことがあったし、私もトンサイ滞在の数日間だが利用したことがあった。
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ピピ・プリンセス・リゾートは砂浜に建てられたバンガロータイプの部屋が多かったから多分津波で全てがやられてしまったはず。他の鉄筋コンクリート仕様のホテルの2階だか3階だかに船が突っ込んでいる写真を見たことがあるから津波の高さや流れの強さは相当なものだったのだろう。
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思い出すことは沢山あるが、写真の二人が歩む道に危険な障壁が待ち受けないことを心より願うばかりだ。
上は、私がしばしば訪れたピピ島を見てみたいとワン・デー・トリップに参加した時の写真らしい。
大昔は海底にあった石灰岩層が今は隆起して島として海上に顔を出しているのだ。
アンダマン海にあるピピ島の南に位置するピピ・レ島近くでの写真であることが分かる。
s-2017-07-10_143705私は一度出かけるとビザで滞在ギリギリの1ヶ月をピピ島で過ごしてきた。
だからワン・デー・トリップで来島する人たちを毎日見てきたのだが、2000年前後は中国人旅行者が多かった。
しかしN夫妻と共に参加していたのはインド人が多かったのだとか。
ゾウの尻尾だけで全体を想像するのは明らかに間違っているが、旅行動静に変化が生じているのかもしれない。
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タイ人が言うファラン、つまり欧米人のことだが、彼らはプーケットではバトン・ビーチに、そしてピピ島ではローダラム湾、トンサイ湾の賑やかで比較的高級なホテルに長く泊まる者たちが多かった。
私はピピ島北部レムトンのホテルの静かなバンガローでの生活を好んだ。
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まあ人それぞれではあるが、N夫妻はプーケットタウンに近いウェスティン・リゾート&スパでも何泊か滞在したよs-2017-07-11_152036うだ。
まあハネムーンだからいいんじゃないの。
私が希望して泊まることは無いし、多分家内も同じだろう。
私は『5days, 1day Free』というホテルを安く長く利用するのが好きなのだ。

彼らのアルバムから思い出が次々に広がり、楽しい時間を提供してもらった。
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masatukamoto at 00:04│Comments(0)

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