August 30, 2017

記憶の広がり 《つづき》

50数年も昔(昭和37年・1962年)、夜食にチキンラーメンを食べていた記憶について書いたが、食べ物からの連想で、この年に初めて食べた物の記憶が甦ってきた。
空色-2
病を得てから丸々5年間は食べていない焼き肉を初めて食べたのも昭和37年。
もっとも当時は焼き肉とは言わず、ホルモン焼きと呼んでいた。s-2017-08-09_140919
今の焼肉屋ではロースだバラだミスジだなどと上等な肉を提供しているが、私が初めて食べたホルモン焼きの店ではミノ、レバ―、ハツなど臓物ばかりを扱っていた。(と、思う。)
在日のアジュモニが切り盛りする店は、夜はお酒も提供し毎夜賑わっていた。
初めて知人に連れてもらった時、店内は客たちの賑やかな声にホルモンを焼く煙と食欲をそそる香りが充満していた。
赤色-1
この時の衝撃的な美味さが病みつきになったことは間違いなく、この後、小遣いをしまつして(貯めて)昼食を食べに行くようになったのだ。
ホルモン焼定食、70円。 s-2017-08-11_162351
その内容が、どんぶり鉢に入ったご飯、白菜キムチ、ミノとレバ―の盛り合わせ。
味噌ダレで和えたホルモンをカンテキの炭火で焼いて食べるのだが、味わいだけでなく香ばしさまでが絶妙の美味さを感じさせてくれたのだ。
アジュモニの作る味噌ダレはホンマ美味しいものであったが今もって味の再現は出来ていない。
s-2017-08-30_114733店へは客の少ない時間帯に行っていたこともあって、アジュモニは何やかやとよくサービスしてくれた。40年ほど前に尋ねたことがあるが店は無くアジュモニの行方も分からなかった。
思い出すままにホルモンを焼いてる絵を。




masatukamoto at 17:51│Comments(0)

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