September 01, 2017

記憶の広がり《 つづき 》の続きの続き

昭和37年(1962年)、初めて口にした衝撃的なものが今ひとつある。
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寮での暮らしは部屋と三食が保証され、電気、水道は自由に使えた。寝具・机・椅子・本棚など個人が使用するものは原則として各自が持ち込むことになっていた。s-2017-08-14_154602
食事代を含んだ寮費は支払ったが、主食の米については入寮の際に私の米穀通帳を渡していた。
衣類の洗濯も自分で行い、干して、取り入れ、たたんでタンスに。 
洗濯機もあるにはあったが数が少なかったから洗濯板を金盥に置いてゴシゴシ・ジャブジャブであった。
だから日曜日は朝ご飯を食べた後がタイヘンだった。
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そんな私を不憫に思ったのか、AさんとYさんが時々寮を訪れて洗濯などをしてくれたのだった。
AさんもYさんも22歳。共に大阪で働いていた女性だが、随分助けてもらった。
このお姉さんたちに連れてもらったのが、カウンター前に
7席ばかり設え老夫婦が切り盛りする小っちゃなお店。
『蛸の壺』という店だが、当時大阪・梅田の阪急東通りの露地を入ったところにあった。
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私はイカ・タコ大好きだから、タコ焼も勿論食べていた。
メリケン粉を水で溶いたものとタコを焼き、それにトンカツ・ソースを塗っただけのシンプルなタコ焼きだが、タコ焼というのはそういうものだと思っていたのだ。
ソースの味は美味しいし、カリッと焼けた球の中は軟らかく、そこに好物のタコの食感と味わいが・・・。
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ところが『蛸の壺』のタコ焼はタコ焼と言わず明石焼と言うのだと教えてもらった。
タコ焼のように経木舟皿に入れず、俎板状のものに載せることに先ず驚いた。
そしてタコ焼のような球体ではなく、上下に圧力をかけた円盤のような形にも不思議さを覚えたのだった。
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それにトンカツ・ソースが塗られていずに、出汁を入れた小鉢が出され、三つ葉と紅生姜が添えられたことにも驚いたのだった。
しかも爪楊枝ではなくお箸で食べるのだと教えてもらったが、明石焼そのものが玉子たっぷりでフワフワに焼いてあるから爪楊枝では無理ムリ。しかもお出汁に浸けて食べるのだからお箸でなければ掴み上げることも出来ない。
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タコ大好き、玉子大好きの私だが、「これほど美味しい物があったのか」という発見と驚きを与えてもらったのも昭和
37年(1962年)のことだった。
※ 紅生姜は私の自作(近頃のエサの一品)




masatukamoto at 17:49│Comments(0)

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