September 17, 2017

オシャカ

腕時計が動かなくなったことで家内と話をする中、『◯◯しゃり』という言葉を耳にした。
ところが『◯◯』の部分を聴き洩らしてしまったのだ。s-2017-09-17_155744
父親の難聴障害は40歳頃に始まったが私に聴覚障害は無い。セミの鳴き声のようなジジジジジという耳鳴りを感じてはいるが誰かとの会話に支障を来たすことは現在も無い。
普段の何気ない会話の中での一コマだったし、前後の脈絡がいい加減だったこともあって不明な『◯◯』部分の言葉を私は適当に想像することにしたのだった。
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先ず一番に思い浮かんだ言葉が、『仏舎利』。
時計が壊れたことを話していたから、時計がオシャカになった、オシャカ=お釈迦、お釈迦さまの骨=『仏舎利』と私のオツムが尻取りのような連想を始めたのだ。
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が、家内に問うと、『だんしゃり』だと。
もう長いこと使ってきたのだから新しいのを買えば良いのだと。
確かに長いのだが・・・。
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私はこれまで腕時計を二つ使ってきた。
一つ目は中学入学の祝いに父親が飼ってくれたセイコー・マーベル。
これをパイロットの万年筆と合わせて買ってもらい、とても嬉しかったことを覚えている。
動かなくなった時計は私にとって二つ目の物で、結婚の記念にと家内が買ってくれた物だ。
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セイコー・キング・クォーツ(上)、これは45年間ずっと私と共にあったのだ。
電池を入れ替えたが作動せず。
毎日が日曜日のような私だが腕時計が無いのは不便この上無く、安物の電子腕時計を買い求めてしまった。
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ところで家内が言う『だんしゃり』とは要らない物が入ってくるのを断ち、要らない物を捨て、物に対する執着心から離れるという意味で『断捨離』と書くのだと。s-コスモス-1
だから長く使った腕時計であっても執着しないで良いと言ってくれていたのだ。
『断捨離』。 考え方として成る程と納得できるものはある。
しかし腕時計はやはり必要なのだ。しかも動かなくなった時計とは言え家内がプレゼントしてくれた時計である。
修理可能かどうか調べもせずに執着する心から離れるなど私のモッタイナイ主義にも反する。
何でもかでも『断捨離』ではナイだろうと私は思う。
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上は買い求めた時計。(メーカー秘密)
後日のこと。
修理は可能であった。
しかし修理にかかる費用は、買い求めた安物腕時計を3つも買うことの出来る金額。
私のモッタイナイ主義も今一度見直しが必要だったかも。
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masatukamoto at 20:46│Comments(0)

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