December 31, 2017

追っかけ小説・・・1

以前に書いた山本一力氏の時代小説の追っかけを今も続けている。と言っても読む場所はベッドで起床時と就寝時のみ。目覚まし時計と睡眠導入剤の代用品みたいな役割を果たしてくれているのだ。
先日、その追っかけている時代小説の舞台として度々出て来る深川の富岡八幡宮のことなど思い出を含めて書いてみようと思っていた矢先に凄惨な事件報道があったのだった。
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上図は国立国会図書館蔵の永代橋全図である。図右上に佃島、中央上部に深川新地と記してあるので富岡八幡宮は深川新地方向に位置することになる。
《青色文字部分をクリックすることでリンク》
下は深川絵図(国会図書館蔵)。赤字A~Gの記号は小生が打ったもので、作品によく出て来る名前である。。
A・霊巌寺、B・佐賀町河岸辺り、C・仙臺堀、
D・永代橋、E・富岡八幡宮・永代寺、F・木場、G・洲崎弁財天
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※ 各図は国会図書館のページで拡大して見ることが可能。
豊臣秀吉が町割した大坂は八百八橋。徳川家康が町割した江戸は八百八町。表現は異なるが共に橋も町も多い大都市ということだ。橋が多いと言うことは川(堀)が多いことであり、『
人は陸を、物は水上を』と大坂も江戸も舟による物流が盛んであった。
上図
Cの仙臺堀は仙台藩が藩米を蔵屋敷に運び込むために伊達政宗が掘らせた運河であり、Bの佐賀町河岸には米問屋などが並んでいたらしい。
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大阪では大和川の付け替え、江戸では利根川の付け替えが行われるなど古来治水は為政者の重要な仕事であった。しかし治水よりも利水といった面での堀の活用を山本氏の小説はよく描き出している。
そうした江戸の町の様子など庶民の風俗について書かれていることは私が子どもの頃の思い出と重なり大変懐かしい気分になるのだ。
と言って私は江戸時代に生きていたわけではないのだが・・・

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上は記号
Gの『洲崎弁財天境内絵図・同海浜汐干の図』。
当時、江戸の海岸線であったところだ。
江戸庶民の風俗について、私の思い出に関わることについては別途書いてみることにする。

masatukamoto at 20:29│Comments(0)

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