August 20, 2018

いのち

8月15日。
毎年のことだが『ひとの命』について考えさせられた。

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73年目の終戦の日、全国戦没者追悼式が日本武道館(東京)で執り行われた。
今回は最高齢となる102歳の老婦人が車椅子で参列される場面がテレビで報じられていた。その際『戦争なんて嫌だ。』と彼女が泣きながら声を上げていた姿が目に強く焼き付けられた。
彼女の夫は沖縄戦で亡くなり、その時31歳だったのだと。
『ひとの命』は分からない。しかし戦争がなかったなら・・・と考えてしまう。
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1931年、大陸への侵略を開始(満州事変)した日本は傀儡政権をもって満州を建国。中国(当時の中華民国)との関係は泥沼化の一途をたどり、1937年には日中戦争開始。
そして1941年12月8日に大本営陸海軍部は『帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。』と発表。
s-2018-07-11_174838米英と戦争を始めるという国を挙げての重大事について、日本国民はラジオの臨時ニュースで一方的に知らされただけである。
ライン紫
戦争と言うだけで敵となった人を殺さねばならず、自分が殺される立場に立たされねばならないのだ。
陸海軍を統帥する天皇が開戦の断を下した結果、日本だけでも300万人を超える『ひとの命』を失うことになり、アメリカやアジア各国の犠牲者も加えると1800万人を超えるとされている。s-2018-07-19_162324
犠牲になったのは命を失った人たちだけではない。命は助かったものの体に障害が残った人たちも戦争の犠牲者だ。命や体だけでなく住む家や様々な施設も破壊し尽くすのが戦争だ。
こうして取り返しのつかぬ損害を国民に与えるだけ与えた末、1945年8月15日正午、ラジオを通じて国民に終戦が伝えられたのである(玉音放送)。

 まったく『ひとの命』が如何に軽く扱われていたことか。

ライン深緑
戦争時『ひとの命』に重さなど無かったが、平和な現代日本でも『ひとの命』の重さを感じられないような事件が多いことに私は悲しく思う。

s-2018-07-22_101801親が子を、子が親を、見ず知らずの人を平気で殺める事件が連日の如く報道されることには真に心痛む。

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そうした中、山口県周防大島の実家に母親と帰省中の2歳児が行方不明になったが、大分県よりボランティアで捜索に入った尾畠氏(78歳)が発見したとの報道をテレビで知った。

『ひとの命』が軽んじられる事件が多い中、大分県から手弁当で捜索に加わり2歳児の命を救った尾畠氏の行為はダイヤモンド以上に輝いているように私には思えた。

ライン紫




masatukamoto at 19:00│Comments(0)

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