October 25, 2018

ツマラン病・顛末《2》

毎日が日曜日のような生活をしている私だが、医院であれ何処であれ外出するには幾つもの条件をクリヤーせねばならない。
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ホームドクターの診察を受けると決めたものの、私が自分ひとりで出来ることはタクシーを呼ぶのに電話をかけることと、時間がかかるがタクシーに乗り込むまで移動すること。この移動も何とか漸くのことs-2018-08-26_111837歩けるようになってきたところで、着替えを用意してもらうことのほか医院で診察を受けて帰宅するまでの様々なことは未だ未だ家内の助けを求めねばならないのである。医薬分業とやらで薬局まで移動せねばならないことも距離が長く現状はムツカシイことのひとつ。
また雨天の外出は、両手に杖を持って傘を持つことが困難なのでムツカシイではなくs-2018-08-26_112447不可能である。仮に傘では無く合羽を着たとしても杖がゴム底のために滑るという危険があるのでダメ。
病(医)院の場合は診察曜日や診療時間が決まっているので何時でも良いというわけにはいかない。
家内にしても何時でも良いというわけではない。家内は家内の用事があるのだから。それに毎日ではないが我が家への来客の予定も入っているし、私自身のリハビリの予定もある。
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火曜日の朝、条件を考えたところ午前中に工事関係と荷物配達の人が来ることと家内には出かける予定が入っていた。家内には翌日に変更してもらい、工事関係は改めて日程調整を行うことに、荷物の受領s-2018-09-22_153832は悪いが不在扱いにして診察を受けに出向くことになったのだった。

健康な時には考え準備などしなくて良かったような細々としたことに気を巡らせねば少しの外出も思うように出来ないのである。
今は家内が何かにつけて助けてくれているので何とか日々過ごさせて頂いているが、更に齢を重ね、介助者無く財無く体力無く、有るのは障害だけといった状況を想像すると・・・
《もう少し、つづく》
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masatukamoto at 16:10│Comments(0)

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