August 29, 2019
どっちだったか・・・〔1〕
ジイジイと呼ばれるようになった今も怖く恐ろしい物事はある。
子どもの頃は怖いとか恐ろしいと感じたら『近付かない』『触らない』『見ない』『聞かない』『忘れる』ことに努めた。
当然に子どもの頃に怖かった物事と今の齢になった私とでは恐れる物事に違いがある。
人は実際に経験したり学習したりすることによって得る知識によって物事に対する認識を新たにするものだ。そうした過程を経て私が恐れる物事も変わって来たのだ。
一人っ子でいた私にとって両親との三人暮らしは全てにおいての基本であり、この基本ユニットが崩れることは考えられなかったし考えたくも無かった。故に両親が話す養老院(老人ホームのこと)という言葉や意味、それにそこでの待遇について『姥捨山のようなものだ』という表現があり、私は即座に養老院と姥捨山を恐ろしいものの範疇に組み入れたのだった。
人を捨てるなど私には考えることすら出来ないことだし、実際60数年前の養老院の実態は現代では考えられない程の酷さだったようで、その時の私の理解は姥を山に捨てることは年老いた母を養老院に入れることと同じに思えたのだ。
だから中学生の時だったか映画『楢山節考』(監督・木下恵介)が公開された時も、深沢七郎の作品『楢山節考』の映画化であり、その内容(筋書き)については承知していたから映画を観ることは端から拒否していた。
斯様に姥捨ては殺人と同じ唾棄すべき行為だと考え、それが今も私の考え方の一部分を構成している。
【いずれの引用画面も暗かった為、明るさを強めている】
※ どっちだったか・・・〔2〕に続く
masatukamoto at 15:30│Comments(0)│