November 28, 2019
追 想 ⑴
長兄が「私の葬式はしなくて良い」と語っていたのを私も何度か聞いた記憶がある。
華美を嫌い質素で合理的な思考をする人というのが私の長兄観であり、葬式は要らないという兄の思いを特段不思議に思うこともなかった。
そんな長兄の思いを兄弟姉妹も同じくしていたのか、身内だけのこじんまりとした葬儀を無事に終えることができた。
葬式はしなくて良いというのが長兄の考えであったが、全く何もしないという状況をイメージすることは私には出来なかったし他の兄弟姉妹も同じではなかったろうか。
形式ばった『式』は要らないというのが真意であったと思うのだ。
だから祭壇も簡素にし供花も親族で一対とした。
病院ベッド上から火葬場を経て遺骨として自宅に帰ってくるまで、遺体となった長兄が自ら動き巡ってくるわけではない。
死亡診断書から死亡届、火葬申請と火葬許可証、火葬申込みと、一連の事務や遺体搬送を遺族の手で行うのは至難である。
形式ばった『式』は要らずとも、数え切れぬほどの人たちと交わった人生最後の最期、身内の者はともかく生前縁を結ぶことの無かった人たちの最低限の助けを求めるは至当かと。
ただ物故の身として縁を知り、感謝の思いを感じ伝えることが出来るのかどうか、彼岸のことは私には分からない。
今頃、長兄は・・・
近頃シュウカツという言葉をよく聞く。
私の学生時代に就職活動と呼んでいたのが縮められて『就活』。
今、オジンとなった私の場合は『終活』。
今、オジンとなった私の場合は『終活』。
いろいろと考えさせられることが多い。
masatukamoto at 17:18│Comments(0)│