December 31, 2019

年の瀬 ? 題〔その5 事納め〕

前頁で書いた納めごとのひとつを書いておこう。
怒りの事納めである。
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『佛の〇〇』と呼ばれて早や30数年。
勿論のこと生身の人間だから怒らないなどということは無い。家内との諍いも時にはある。と言っても修復不可能な喧嘩では無い。まあ互いに少しの間沈黙する時間が必要になるが、その程度で済むことだ。
【下】 家内が炊いてくれた栗ご飯
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私が本気で怒るのは社会正義に反する言動をする輩に対してであり、こ奴らについては年の瀬を迎えても怒り納めとして忘れ流すことはしない。
社会正義についての説明は長くなるので割愛するが、思いっきり纏めて言えば基本的人権を無視し蹂躙する奴らである。更に付け加えると嘘つきで不誠実な奴らも社会正義に反する輩である。何度も書いてs-2019-10-14_094410きた政治屋どももこれに当てはまる。
そんな政治屋のワルどもに尻尾を振っておもねる腐りきった官僚どもも同類だ。
超短い-2
こ奴らの悪行は決して忘れることはないが、他にイラついたりムカムカしたことなどは年の瀬で納めて新珠の年を迎えたいと思う。
中緑-6
孤高という言葉がある。孤独を尊び人格高潔で理想高く気高く清廉な人物を評する言葉と私は理解している。私の父親や今年初めに他界した我が師は孤高の人と評して良いと私は思っている。
一つの物事に集中する研究者には孤高な人が多いと思ってきたが、近頃孤高と言う言葉は自尊自大という言葉と表裏一体かと思えるような腹立たしい思いをすることが続いた。大変に残念で気分が滅入ってしまい、お付き合いしたくないとも思った。
中青6―6 - コピー
しかし人間性の一面、否二面も三面も見せられたが、社会正義に反するほど重大なことではなかったので、まあ年の瀬を機に忘れることにしよう。
怒りの事納めだ。
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【上】たまには牛肉も出してくれるがステーキと言えるほどの厚みは無い。







masatukamoto at 18:00│Comments(0)

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