May 24, 2020
むかし・むかし 《続-1》
前頁でユースホステルに触れたが、ユースホステルもワンダーフォーゲルも共にドイツから広まった運動である。どちらの運動思想にも実践にも賛同する立場にあったが、ユースホステルの場合は会員登録をしてメンバーにならなければならなかったため少しばかり抵抗を感じていたことを記憶している。
テントは必要ないが宿泊の際に自分専用のホステル・シーツが要るので母親に縫ってもらったことがあった。自分一人が入って寝ることが出来る封筒状のシーツだ。これはユースホステル運動の柱のひとつでもある協力協同精神の実践として、訪れた時よりも綺麗にとの考えが自分専用のシーツ使用ということに象徴的に表れていたように思うのだ。
当時の宿泊費は450円か500円だったように思う。このブログを書いていて私が泊まったことのあるホステルは現在どうなっているのか調べてみたら、全て無くなっていた。
紀伊半島の西南部の徒歩旅行を行った際には日ノ岬ユースホステルや潮岬ユースホステルに宿泊させて頂いたのだ。時代の変化とは言え寂しい思いがしてならない。
3つの写真は比良山の登山記念のバッジだ。
琵琶湖西岸の南北に延びる比良山地、その最高峰が武奈ヶ岳(1214m)である。
比良山地の南には比叡山、北の方には朽木峠があり、歴史上名高い地名である。
比良山に飽きたわけではないが、土曜日に京都駅から鈍行の夜行列車で米子駅に行き、バスで大山寺まで行って大山(弥山 1709m )に登って下山。日曜日の夜に帰宅するということを2度やった。
ともかく私の青年・思春期はよく歩いた走った。
せめて10分の1でも機能が回復してくれれば嬉しいのだが・・・
そうそう、大山行ではお金に余裕が無かったのでバッジを購入していなかったのだ。
masatukamoto at 16:30│Comments(0)│