August 15, 2020

終戦75年

1945年8月15日(昭和20年)。
天皇(昭和)がポツダム宣言を受諾して無条件降伏する旨、ラジオを通じて国民に知らせた。
この玉音放送をもって我が国の戦争が終わった。
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この戦争で死んだ人が日本人だけで300万人を超える。戦争だから当然相手国があり、その同盟国もある。日本も属国化していた朝鮮や台湾の人々も戦争にかり出されていた。軍人、軍属、民間人など戦s-2020-08-15_134402争では見境なく殺戮行為が展開される。老人、女性、子どもなどと配慮されることなど無い。
日本が起こした太平洋戦争で日本人の死者以外で亡くなった人は確か2000万人くらいだったと思うが、実際にはカウントされなかった民間人も多くいるようだから300万+2000万以上の人たちが死んだものと思われる。
ただ、この数は死んだ人の数であり、傷を負った人たちの数はもっと多かっただろうし、家が破壊されたり焼かれたりといった被害を受けた人は更に多かったことと推量出来る。
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そんな戦争が天皇の裁可で終わった。
更に言えば、この戦争は天皇の裁可で始まったのだ。
戦後の検証で強権を持った軍部の独走を開戦に結びつける説もある。確かに日中戦争と関東軍の関わりs-2020-04-28_064731から日米開戦に至る経緯を見れば軍部の圧力が強かったことは分かる。
しかし大日本帝国憲法では第一条『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』と、また第十一条『天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス』とあり、帝国憲法上、天皇は戦争をしない・させない権能を有していたのだ。
天皇の戦争責任、私は今もあると思っている。s-2020-08-13_112625
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ともあれ悲惨な戦争経験を経て、天皇が国を統治するという天皇主権から国民が国の主人として政治を行う国民主権に、天皇の命令で軍隊が戦争する国家から、国際紛争解決の手段として武力行使や戦争を永久に放棄し、陸海空軍の戦力不保持と交戦権を認めないことを柱とする日本国憲法を定めて今日に至っているのだ。
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終戦から75年。平和のうちに今日を迎えることが出来た。
平和の大切さを思う終戦記念日としたい。
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※ 西穂のバッジは新穂高ロープウェイを利用して西穂山荘までは行った時のもの。新穂高ロープウェイが完成して翌年だったと思うが天候が悪く西穂山荘から引き返してきたのだった。
※ 乗鞍スカイライン(乗鞍岳)のバッジは1985年か86年の頃に家族で飛騨高山から木曽谷、乗鞍、諏訪湖あたりをマイカーで巡った時のものだ。明治から大正期、飛騨地方の若い娘たちは美女峠、野麦峠を越えて諏訪湖、岡谷あたりの製紙工場まで働きに出ていた。ちょうど息子たちが山本茂美の『ああs-2020-08-01_114348野麦峠』を読んでいた頃で、私が『女工哀史』(作・細井和喜蔵)の話をしたりしていたので、飛騨・木曽・信州諏訪がどういう地理関係にあるか実際に訪ねたのだった。
バッジひとつにもいろんな思い出がくっついているものだ。
※ 家内の友人 Jさんが送って来た近くの川の写真。それと私の暑さ凌ぎの氷菓子。


masatukamoto at 09:30│Comments(0)

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