April 11, 2021

夜のしじま

夜のしじまという言葉がある。
深夜人々みな寝静まり風雨の音も聞こえぬ完全静寂の状況を表現する言葉である。
2021-03-17_165528『しじま』が何の音もしない静かな様子を表す言葉であることを私の頭は理解している。
かき色短い
そして完全な静寂とはこのような状況だと感覚と理解を表裏一体に私の脳は認識してきた。
事実これまで何度も受けてきた聴力検査、つまり可聴音域や音量に何ら具合の悪い点は無かったのだから私の静寂という知覚認識に何ら問題は無かったのだ。
ももいろ短い
ところが昨年の夏のこと、私の静寂についての知覚認識に疑問を持つことがあったのだ。
疑問を持ったと言っても日常生活に支障を来たすほど不都合なことが生じたわけではない。しかし70年という年月を越え、完全に固定化していた知覚認識に齟齬が生じた、このことは私にとって大変なこと2021-03-21_073449であり驚天動地と言える衝撃的なことであった。
空色短い
早朝からセミが鳴き始めたのを耳で確認。
お日様が高く昇りアブラゼミがジージー鳴く音が暑さに拍車をかける。夕刻お日様が沈んで暗くなってもジージーとセミの声が聞こえている。
私が「もう外は真っ暗なのにセミが頑張って鳴いているな。」と家内に語りかけると、「ええっ?」と家内は不審げに聞き返してきた。
セミの鳴き声が家内には聞こえていなかったのだ。
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翌朝、「セミが鳴いているね。」と私が言うと、家内が「いいや、鳴いてないよ。」と。
紺色短い
そんなことを何度か繰り返し、真夜中でもセミが鳴いているように感じていることを考えあわせ、静寂(しじま)について私の言葉としての理解と感覚に乖離があったと認めざるを得なくなったのだ。
つまり生まれてから認知機能がしっかりするようになって以後ずっと、シー・ジーと感じる状況が静寂(しじま)なのだと私は理解してきたのだ。しかし、このシー・ジーと感2021-04-03_103817じているのは耳鳴りの症状であり、私の認識に大きい大きい誤りがあったということが分かったのだ。
だいだい短い
生まれた時の環境や常識は、以後それがフツウでアタリマエとなり、人の基本的認識として定着するものだ。『しじま』について私の知覚認識も同じことだった。諸行は無常、世に絶対と言うものは無いのだ。
今もシージーと耳鳴りを感じてはいるが、健康状態に支障はない。が、自戒、自戒。


masatukamoto at 09:55│Comments(0)

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